秋田を旅したい

つれずれなるままに秋田を季節感を求めてぶらぶらしています。たまに県外へ遠出もします。

与次郎きつね伝説について その3

f:id:murabitosonoiti:20180713113240j:plain※与次郎像のヒゲ 一時折られたりしたが今は立派に生えている

 

 

前回は陰謀論じみた話になりましたが、

今回は実際に残されている文献の、

史料としての正確性を考えて行きたいと思います。

 

※長くなるので史料疑問点を抜き出して書いています。

 全て講演者の主観です。

 

 

1.「伊豆園茶話二十の巻」

 ・久保田藩主 佐竹義宣公が30年前の水戸を思い出しているが、

実際は10年弱しか住んでいない

 

2.「秋田沿革史大成下巻」

 ・与次郎謀殺を聞いた義宣公が、

与次郎を祭った神社の参道を整備し、初穂料を納めたが、

藩主が飛脚にそこまで手厚い対応をするだろうか?

また、公式記録は無し

 

3.「梅津政景日記」

 ・義宣公が、参勤交代の本陣(大名が泊まる宿)は楯岡(村山市)に

あるはずだが、六田(東根市)に泊まっている。

 

その他の資料

 「山形県地理名勝史蹟集成第6号 北村山郡の巻」

 「東根市史上巻」

 「伝説 悲恋与次郎稲荷」

 など

 

どうでしょう?

長い時間が経っているので、

伝承過程で変化してしまったものもあるでしょうが、

それだけでは無いかもしれません。

 

また、山形県東根市にも伝承が残っており、

そちらでは悲恋として人気があるようです。

 

次回は少し話を変えて、

その山形の与次郎稲荷神社を含む、

現在まで残っている与次郎稲荷神社を見て行きたいと思います。 

 

 

( つづく )