今まで与次郎は実在の人物か、
という謎に追ってきましたが、
皆さんはどのように感じたでしょうか?
久保田藩による公式記録が残っていない以上、
その判断は謎に触れた皆さんにお任せするしかありません。
ただ、この公式記録が無い、
と言う事実も一つのヒントになっているのではないかと感じます。
先の話題でも触れましたが、
歴史資料は政治権力者の都合の良い物しか残りません。
つまり、記録が残っていないのでは無く、
残していない(残せない)理由があるのではないか、
ということです。
そして、その理由によって与次郎は謀殺されたのではないか…。
また、当時の飛脚は諜報活動も行っていたようです。
合法的に他の藩を経由し、
江戸まで移動することが出来る飛脚は、
スパイとしても重宝がられていたようです。
これらの事から想像すると、
与次郎はスパイであり、
その事が気付かれてしまったために
殺されてしまったのではないでしょうか?
そう考えると、
与次郎の重用も、死後の手厚い祭られ方も、
公式記録に残せない理由も説明できるのではないでしょうか?
もちろん、これは証拠が無い勝手な想像ですが、
証拠が無いからこそ、可能性としては残っています。
理由はどうあれ、与次郎きつねの伝説は今も残っており、
終焉の地である東根市では今も悲恋伝説として愛されています。
秋田市でもこの伝説にちなみ、
与次郎駅伝というものが毎年7月に開催されています。
飛脚であった与次郎にちなみ、
現在の與次郎稲荷神社がある千秋公園内も走るイベントです。
速さを競うだけではなく、
「ベストドレッサー賞」や「ベストパフォーマンス賞」などもあり、
何より仲間とわいわいと参加出来るので、
気になる方はぜひ参加してみてください。
( 完 )