※秋田市 與次郎稲荷神社内のお稲荷さん
伝説では与次郎は6日で久保田藩から江戸を往復したそうですが、
実際に可能なのでしょうか?
当時の参勤交代は、
久保田城-(118km)→六田駅ー(191km)→白河宿ー(186km)→江戸
を通り、トータル565kmの道のりでした。
この距離を、初代藩主 義宣は12日かけて移動していました。
他の例では、当時の賞金レースのようなものの記録があり、
早くても6~7日はかかっていたようです。
(梅津政景日記 寛永元年5月9日)
また、似たような距離の例では、
赤穂事件(江戸赤穂間620km)での記録があり、
4日半の日程となっていました。
ただ、この場合は早籠で移動しいるため、
担ぎ手は途中で交代していました。
さらに、移動していた東海道は、
当時最も整備されていた街道なので、
難所の多かった羽州街道とは比べられないかもしれません。
参考までに、現代の記録と比較すると、
2018年箱根駅伝で最下位の記録で、
大手町~芦ノ湖往復217km
11時間40分となっています。
単純に3倍すると
651kmを35時間となりますが…
どうでしょうか?
あながち、不可能では無いような感じもしないでしょうか?
( つづく )